サーバー移行により内容と構成を変更しています、徐々にコミュニケーション可能なコンテンツの導入も模索してゆきますので、現在は最小限での構成で掲載をさせて頂いております。
古くから鉄の町で知られる北九州市八幡にあった大場谷小学校は、1940年9月に当時の「八幡市立 山ノ口尋常小学校開校(後の「北九州市立 山の口小学校」)」からの転入により創立された「八幡市立 大場谷尋常小学校(後の「北九州市立 大場谷小学校」)」です。
開校当時は「高台の白亜の殿堂」と親しまれ、最盛期には1200人を超える多くの子供たちでにぎわう活気ある小学校でした。
その後大場谷小学校は、我が国の産業構造の変化や街の基幹産業である製鉄の移転再編、近年における少子化の影響で生徒数の減少が加速し、2000年を前に生徒数は最盛期の15%を割るようになりました。
公立学校の統廃合を進める中で、山の口小学校と統合する形で2003年に大場谷小学校は歴史の幕を下ろすことになりました。
しかしその校舎は、統合後のひびきが丘小学校の仮校舎として2年、その後校舎建て替えの枝光小学校を始め、戸畑区を含む近隣小学校の校舎新築のための仮校舎として、期間を問わず多くの小学校生徒たちの学び舎としてその役目を終えるまでこの地に存在し、子供たちの笑い声と共に生き続けました。
北九州市立大場谷小学校最後の生徒として、大切な思い出をここメモリアルサイトにして記します。
・・・ それを懐かしく、愛おしく感じるみなさんの記憶とともに、永久に在り続けますように ・・・
授業風景
閉校間近の教室です。
解体工事の始まり
「旧大場谷小学校 解体工事」の開始です。
母校として誇りと親しみを感じ・・・、何よりも「無くてはならないな生活圏のシンボル」でもあった大場谷小学校の校舎が、近隣小学校の建て替えの為の仮校舎として大活躍。
でも顔馴染みのない生徒たちが毎日通うのをみて・・・やはり複雑でした。
「大切に使ってくれているかな」って心配と「私たちの母校なんだよ」って、ちょっぴり寂しさも感じ。
こうして役目も終わり解体が始まってしまうと「誰が使っても構わないので、子供たちの声が響く校舎がそこに在り続けてほしい・・・」って思います。
人って勝手ですね、でもそれだけ一つの学校が街の風景から、そして地図から姿を消すのは大きな衝撃で、街の歴史や活気が一変してしまう事に少なからず動揺と不安に包まれます。
通用門
毎日通った通学路。
大場谷小学校の解体工事
約4ヶ月弱の工程で大場谷小学校の解体工事が始まったのが2009年の事です。
夏真っ盛りの7月末から私たちの大場谷小学校はその姿を徐々に変えていきます。
2003年の春に大場谷小学校は閉校を迎えましたが、その後この校舎は私たち大場谷小学校との統合するために閉校となった山の口小学校との新設校「ひびきが丘小学校」として2年間、そして校舎の建て替えを迎えた「枝光小学校」として2年間、お隣戸畑区の「大谷小学校」として2年間の慌ただしく、でも多くの子供たちの学び舎として最後の役目を果たしました。
校舎の解体
2012年の秋に解体作業が始まりました。
進む解体の様子
重機が容赦なく校舎を破砕していきます。
校内の様子
床も天井も剥がされスカスカな廊下。
大場谷小学校最後の年
北九州市立大場谷小学校は、2003年3月22日の「閉校式」を持って、その歴史にピリオドをうちました。
62年と半年の決して長くはない時間でしたが、先の戦争から混沌とした戦後、高度経済成長期はまさに製造業の街である北九州市の最盛期、その後エネルギー転換と企業のグローバル化、そして工業都市としての淘汰と老朽化に伴い、急速な衰退をたどる地域の中心にある小学校として、輝かしくもはかない歴史を駆け抜けていきました。